家の玄関や店頭にちょこんと鎮座して、耳でも掻いているかのごとく片手をにゅっとあげ人を手招く、ユーモラスで愛嬌たっぷりの招き猫。その由来は「猫が顔を洗った足が耳を越せば客が来る」との俗信や、江戸の昔、それぞれ金猫・銀猫の置物を置いた店が、大いに繁盛したのがはじまりでした。招き猫は、客を呼び込み福を招く縁起から、今でも千客万来・商売繁盛・家内安全のマスコットとして愛されています。
白色の招き猫は開運招福を、黒色は家内安全、赤色は無病息災、金色は財運出世のご利益があるといわれています。また右手をあげている招き猫はお金を招き、左手をあげている招き猫はお客を招き、手がぐっと長く耳を越している猫を「手長」と呼び、遠くからも福をたくさんかき寄せると珍重されています。持ち物も小判ばかりでなく、大福帳、打出の小槌、小判があふれんばかりの巾着、大入額など様々です。
十二年で一巡りする動物たちの組み合わせは、遡れば二千年以上も前に中国で考え付かれたものです。今日でも、中国はもとより漢字を使う国々の社会では、十二支の動物は、毎年交替して世の春を謳歌しています。
十二支を動物と結びつけるのは漢の時代に始まり、以降、年、月、日や時刻まで干支が使用されるようになったようです。この十二支の、組み合わせがきわめて神秘的な哲学は、今なお私たちの生活の中に行き続けています。
新しい年の縁起物として、くりかえし巡る十二支は、初詣のお宮や神社に必ず並びます。どうぞ佳い年でありますように! と祈りと期待をこめて手にする干支を、現代では生まれ年にちなんだ動物のマスコットとして身近に置いてお守りとしています。歴史の中で人間の仲間であった動物と縁起が結びついた習慣は、十二支信仰の“古くて新しい”伝統を残しています。
十二支のできたわけ
むかし、むかし、ある年の暮れのこと。
神様が、動物たちにおふれを出しました。
「元旦に私のところへ新年の挨拶に来なさい。そして、一番早く来た者から順番に
十二番目までをその年の動物の大将にしてやろう。」
足が遅い牛は、前の晩から歩きはじめ、いちばん先にやってきました。
ところが、御殿の門が開くと牛の背中からねずみがピョンと飛び降りて一番になってしまいました。
しかたなく二番目になった牛に続いて、とら、うさぎ、りゅう、へび、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、いのししが神様に挨拶し十二支が決まったそうな。
ちょっとのことで遅れてきた狐や狸、熊はたいそう悔しがり、ねずみにだまされ、一日遅れてやってきた猫は、ねずみの姿をみると夢中で追いかけるようになったとか・・・・
参考文献「日本の動物ばなし」
参考文献「開運の手引き 日本のしきたり」
七福神信仰は室町時代頃から始まりました。現代の七福神としての形態が固まってきた由来は、生活上のあらゆる問題、難題を打開するため性格の異なった神々が神社に祀られたり、神話伝説や民話の中に登場した事から成立してきたようです。
古くから人は、「福」・「祿」・「寿」を求め神頼みするために七福神を崇拝し、宗教儀礼を通して祈りを捧げてきました。福の神の数を七に限ったのは、七難、七福という仏教経典の文句によると言われています。
七福神のメンバーは、各々の福の神が人の幸せを唱えています。